FATBOY人生2度目の震災を経験す

 2011年3月11日に経験した。2度目の震災の事語りたい事を勝手に綴るページ

人生二度目の罹災


 更新作業がきちとして進まないFATBOY、3月11日人生二度目の大地震に遭遇しました。

 私小学生の時宮城県沖地震をここ仙台で経験しました。あの時も同じシュチュエーションで遭遇いたしましたが、人生2度目の経験だったとは言え、いや凄かった本当に。

前回の地震も病院で、今回の地震も病院で経験しました。

前回と今回の大きな違いは、自分が患者だったかどうかと言うことです。前回は自分は患者でした。私小さい頃から大病続きであの当時長く暗い入院生活を経験していました。その当時私が入院していた
その病院は街中にあり、地震の時は丁度テラスで外を眺めていました。地震直後道路はトランポリン状態、電線は縄跳びの様にグルグル揺らいでいたことを覚えています。しかし、あの時の地震に比べると
今回の地震は、前回の1.5倍位凄いものでした。

 前回の宮城県沖地震は、まだ立っていられましたが、今回は立っている事は困難です。しかし、今回はFATBOYの親族が手術を受けたその直後であり、病室には手術を終えた親族が苦しそうに横たわっています。とっさに考えた事はこの患者を守らなければということでした。

病室内のベッドは勿論のこと、備え付けのキャビネットも部屋中動き回ります。何かワザと動かしているかのような動きでした。
その動きを一言で表現すれば、『ワイングラスをクルクルと動かしている』感じです。グラスの中のワインが私たちと家具のようなものです。

 今回はそのグルグル時間が異様に長かった。このまま建物が崩壊するのではないのかと思わせるほどの長い時間でした。
病人は酸素吸入器をつけたまま、地震の動きに身を委ねるしかありません。

 病人は手術間もないこともあり、地震が起きていることを実感することが出来ても、動くこともどうすることも出来なく、時の流れに身を任せ(テレサテン状態です)
私はキャビネット等を押さえながら窓の外に目をやると、電柱や道路、建物がはっきりとうねっているのが判りました。

 地震が徐々に収まりと今度は病院内で火災警報器がなるは、絶叫状態の人がいるは天変地異が起こった時の室内は凄い状態です。地震直後直ぐに行動したのは、会社に連絡し三蔵法師にも連絡し三蔵法師の両親の安否確認を急ぐことでした。(息子オハナの身を按じてもどうすることも出来ない無力さに体が震えました。自宅で一人でいる時間の地震です。彼が生きていることをただ祈ることしか出来ない自分が悲しかった。)しかし携帯電話は直ぐに通信規制が始まり全く使えません。
普段から携帯をあまり使わない私にとって、いざ使おうと手にした携帯は役立たず野郎だったのです。

 一緒に病室で看病していた後期高齢者の母は、一人下界に逃げていきました。この時になっては二人を一緒に守ることはできません。彼女が自分で階段を下がり自分の身を守ってくれた事は凄いことです。

病院は自家発電が常識です。ある意味一番安全な場所ではないでしょうか?
病人と病室で向かいあい、余震に耐えながらラジオに耳を傾ける。病人がいるために病室からは外に出られず、世の中がどうなっているのかわからずじまい。その内急に雪が降ってきたり、長期戦になる事は判っていたのですが、何か不安感が過ぎるばかりです。

 刻々と流れるラジオの情報から甚大な被害の様相がわかってきました。こうなると安否確認が出来ない事の不安が過ぎります。三蔵法師は義理の両親は、オハナは父は無事なのだろうか?
彼等の無事が確認できるまで(3月11日の内にはわかった。)は何日も時間が過ぎているように感じました。

 夕方になり、病院の廊下に出ると南の空は紅くなっていました。火事が色々なトコロで発生しています。夜になっても炎だけがメラメラと空を照らします。病院の周りは停電で全く明りがありません。あるのは車のヘッドライトと火事の炎だけでした。夜中も何度も余震があり、寝ることなんて当然出来ません。安否確認が出来ましたが、術後の病人を置いて帰宅することも出来ません。

病室の廊下から見た地震後の夕方(いたるところで火事発生) 地震の翌朝病院から自宅に帰る時、道路が波打つ 少し歩くとNTT五橋ビルから公告物が下に落下していた。

 地震の翌朝、術後の病人も落ち着きを取り戻しました。
自宅を目指さなければ、オハナの状態が心配です。目指せマイホーム。朝5時半、自宅を目指しテクテクと病院を後にしました。

仙台市中心地は、ビルが倒壊しているところはありませんでしたが路がいたるところでうねっています。陥没が1m以上もある場所もあります。窓ガラスが割れていたり看板が落ちている程度の様に見受けられましたが、前回経験している宮城県沖地震との大きな違いは、歩道やバス停付近に毛布を被った人々が溢れていることです。

 あの日の体験を思い出すと何か背筋が凍ります。約1ヶ月経っても大き目の余震が続いています。
生活は地震直後から普段どおりの生活に戻ってはおりますが、心の整理が今ひとつつけられません。目に焼きついた光景を言葉にする事は出来ません。
私が以前勤務していた地域も壊滅状態になっており、多くの顧客が亡くなっています。一頃は大好きな場所であった仙台空港や仙台港等には足を向けることが出来なくなりました。

 今回の地震で写真に収めたものは10数枚です。記録に残すことも必要かもしれませんが、記憶に残っているので写真で残す気には全くなれません。

 今はただ心の安定を求めたい。FATBOYが求める本当の気持ち

 世界の皆様から暖かい励まし有難うゴザイマス。あまり多くは語りたくありませんが、ご心配頂いた人々生きている証を伝えたい。

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